ありがとう看護師さん① ~入院日記~

元気かな?微熱があったり血圧が高かったりしているが、傷痕は日々きれいになっているようだ。しんどくなるサイクルがあるようで、午前と夕方以降にちょっと体調がすぐれなくなっている。自身の体の特徴を把握しながら家での生活に備えたい。

 

入院して1回目の手術を終えて間もなくして、「ここにずっといたい」「将来何かあったらまたこのフロアに入院したい」なんて不謹慎なことを思った。今でも密かにそう思っている。そう思わせてくれるほど、いい病院に出会った。特に看護師さんたちに恵まれた。看護師さんたちからすれば、ただ仕事をしているだけということになるかもしれないが、僕にとっては看護師さんがしてくれる1つ1つのことがありがたく、そのおかげで心穏やかな時間を過ごすことができた。

 

いったいどれだけ氷枕を交換してもらっただろう。2回目の手術後は足を冷やすこともあったので交換頻度も2倍になった。痛みどめをもらうために夜中に部屋まで来てもらった。朝方に来てもらったこともあった。背中から血が漏れていないかを確認してくれた。足から血が漏れていて夜中にガーゼを交換してくれた。シャワーを浴びる前後にガーゼのお世話をしてもらった。蒸しタオルで左肩や首もとを拭いてもらったこともあった。食事を部屋まで運んでくれた。毎日の体温や血圧の測定までがうれしかった。

 

病気や怪我のケアだけでなくて、それらも通して心のケアまでされていた。心が満たされていた。僕のような入院患者が日々山のようにいるんだろう。すばらしい仕事をしているね。存在がありがたかった。看護師さんにはどれだけ感謝しても足りない。足りないけど、ありがとう。

 

 

 

僕の体の心配をしてくれる売店 ~入院日記~

元気かな?友人が連休の旅行をキャンセルしたと言っていた。またもや台風だね。

 

売店にいくと必ず確認していたのがアイスクリームの棚。ストロベリーのハーゲンダッツを毎日食せるだけのセレブではないから、買わなくても在庫確認のような気持ちだった。ハーゲンダッツの他の味と比べてどれだけ減っているかにも目を見張っていた。入院当初から永らく3種類だったハーゲンダッツが、2回目の手術をしてしばらくすると4種類になっていたのは、興味深かった。

ハーゲンダッツよりも真剣にリサーチしていたのがpinoだった。僕はpinoが好きすぎるので毎日食べてもまったく飽きない。1日に何度でも食べられる。お値段的にも庶民の僕には抵抗なく、毎回買ってしまいかねない。

 

そんなpinoだが、入院初日に確認したところ、赤いパッケージのスタンダードなものはなくて、和栗味というもののみ棚に入っていた。たまたま欠品だったんだろう。手術が終わって動けるようになる頃には棚に並べられているに違いないと思っていた。しかし入荷するつもりがなかったようだ。一方和栗味は毎日少しずつ減っていったので、和栗味がなくなったらいよいよスタンダードなものと交代するんだな、早く売り切れてしまえ、と思っていた。棚のハーゲンダッツが4種類になる少し前、とうとうその日がやってきた。和栗味がなくなっていた。しかし、その後スタンダードpinoどころか和栗pinoまでもが棚に並ぶ日は来ることはなかった。

 

ショッキングであったが、僕はあることに気づいた。調子がいい時は僕は1日に3回売店に行く。ということは1日最大3箱のスタンダードpinoを食べ続けていた可能性がある。おまけに日によってはストロベリーのハーゲンダッツもそこに加わる。こうなれば食べ過ぎである。いったい何の目的で入院したのですかということになる。でも売店にpinoはなかった。店員さんがpinoを発注しなかったので、僕は健康的な患者らしい食生活、入院生活をおくることができた。僕の体を心配して発注しなかったんだね。売店ありがとうだね。

導かれる流れに乗ってみる④ ~入院日記~

元気かな?この話の締めくくり。

 

入院後のことは今までの日記の通り。退院後の短期的な人生についてはどうとも言えないけど、中期的、長期的な人生については必ず好転していく気がする。根拠はないけど、へんな手応えがある。それほどまでにこの度の40日は僕の人生にとってかけがえのないものだった。穏やかで幸せな時間だった。ありがたくてたまらない。

 

街のお医者さんに診てもらってから、いや、それ以前に、お嫁さまが執拗に病院コールをし始めてから今日までのストーリーはまったく意図しないものだったし、予期も想像もしなかった。でも絶えず何かに導かれている感覚、何らかの流れが起こっている感覚がはっきりとあって、その流れに浮かんで乗っている自分自身を感じられていた。おもしろかった。

 

いったい何に導かれているんだろう。この流れの先に何があるんだろう。病院を卒業しても力を抜いて流れに身を任せたいと思ってるよ。

 

導かれる流れに乗ってみる③ ~入院日記~

元気かな?さらに続きの話。

 

僕は生検の話になると思っていた。ところが後に主治医となるお医者さんは、背中右側の潰瘍になっている部分全般を切除するという。それを検査に出して腫瘍の有無を調べるという。腫瘍があった場合を考えていったん人工の皮膚を張り付けて、3週間後に2回目に本物の皮膚を張るという。1回目の手術ではさらに背中全般や右腋の特に突っ張っている部分にメスを入れて、皮膚を伸びやすくして過度な負担がかからないようにするという。考えもしなかった大ごとになった。展開が思ってもいなかった方向にどんどん進んでいく。

あまりに大きなことであったけれども、セカンドオピニオンを得ることはこれっぽっちも考えなかった。このお医者さんに委ねてみよう、ここまでの一連の何らかの流れに抗わずに流されてみようと思った。この流れの先に僕の人生がどうなっていくのか興味がわいた。2回分の手術日と入院日もあっさり決まった。

導かれる流れに乗ってみる② ~入院日記~

元気かな?続きの話。

 

街のお医者さんは、僕の背中と腕の写真を取ってそれを見せながら説明してくれた。がんという言葉は用いなかったけれども、いわゆるがんの可能性があると。生検をしなくてはいけないと。がんだったことを考えるとはじめから大きな病院で生検をするほうがいいと。そこで、僕はある病院のあるお医者さん宛の紹介状をもらうことになった。火曜日か金曜日に行ってくださいとのことだった。軽い気持ちで病院に行ったのに、まったく思ってもみなかった展開になった。けれども焦ることもなし、僕は紹介先に行く予定を組まずにいた。仕事が落ち着いたらなんて考えていた。1日早かろうが遅かろうがたいした違いはないだろうと考えていた。

 

8月20日はもともとお嫁さまと梅田でデートをする約束をしていた。ところが直前になってお嫁さまがどうしても仕事を休めないことになった。お嫁さまは仕事に行き、火曜日だったこともあり僕は紹介先のお医者さんを訪ねた。もしもお嫁さまが予定通りに仕事を休んでデートをしていれば、僕はいまもこの病院を訪れていなかったかもしれない。

 

 

導かれる流れに乗ってみる① ~入院日記~

元気かな?日曜日の退院が決まったよ。連休の真ん中だね。

 

2歳の時の事故&怪我がこの度の手術のきっかけということになる。誰を恨むでもなく、自分を不幸と思うこともなく、自分の人生はこんなもんだろうと思って過ごしてきた。不便はあるものの一生この体に付き合っていくつもりだった。

息子が小学校低学年の時に「パパを治してあげる」と言った。息子の練習台になるなら本望かなと思った。数年後に息子が「血が怖いので手術はできない。パパを治すことができない」と言った。もともと何とかしたいと思っていたわけではないので、落胆はしなかった。

 

今年に入って、背中から血や体液が出て、パジャマやシーツににじむようになった。かさぶたらしきものはできているようだがそこからは再生しない。これが何度も繰り返された。明らかにこれまでとは違う。痒かったり痛かったりする日が続くようになった。それでも僕は年を取って細胞も老化してきているんだろうくらいにしか思わなかった。

お嫁さまが「病院、病院、病院」としつこく言うようになった。失礼にもどうせ軟膏を塗るくらいだろうなと思いながら、街の名医と呼ばれるお医者さんに診てもらうことにした。この時点でも、何の心配もなく何の期待もしていなかったためか、僕の人生に起こる流れに気づくことはなかった。

終活ライフケアプランナー ~入院日記~

元気かな?入院した9月4日がはるか昔のことに思える。8月はじめのことなんてもはや夢か現実かもわからなくなっている。

 

今朝スマホのカレンダーを見ていたら、8月頭に「終活ライフケアプランナー」と入力してある。そう言えば勉強して資格を取ったんだった。僕自身が終活をするわけではなかったし、周りで話題にする人がいたわけでもなかった。心理系・整体系と勉強して、「こういう世界も知っておいたらいいかな」という極めて軽い気持ちで勉強したんだった。

 

特に結婚してから、さらには息子が誕生してからは、まだ死にたくはないとは思うことはあったが、「何が起こるかわからないし、なるようにしかならない」と思っていた。が、ここでまったくの想定外の展開になった。当事者意識ゼロではじめた勉強の途中で、僕自身が突然死が恐ろしくなった。強烈に死にたくないと思った。死への恐怖ははじめてだった。1回目の手術前後ならこのような心境になっていたかもしれないが、この時はまだいずれ手術を受けるようになることなどもちろん知らない。

 

恐怖感は1週間ほどで消えたが、なにがきっかけであんなに恐ろしくなったのかはわからない。この1ヶ月は僕にとって宝物のような時間になる。でもこの2ヶ月も僕にとって貴重な時間になる気がしているよ。

飲み薬を飲み始める ~入院日記~

元気かな?またもや新しいことを知って興奮しているよ。

 

昨日の朝から1種類の飲み薬を飲み始めた。15日の夜まで飲むことになっている。リザベンという薬。いれものには「ケロイド・肥厚性瘢痕治療剤」「アレルギー性疾患治療剤」と印字されている。傷口や皮膚のための飲み薬があることもはじめて知ったことだし、アレルギー性疾患も兼ねちゃうんだねという驚きと、アレルギー性疾患が今回の手術とどんな関係があるんだろうという好奇心。

 

好奇心が強くなりすぎたのでちょっと薬のことを調べてみたよ。もう時間が解決するだけで、通院やリハビリで徐々に完璧。憂いなし。なんて思っていたけど、そんなに単純なことではないらしい。確かにいまの僕が服用しないといけない薬なんだろうな。なかなか奥深いね。テンションが上がっちゃうよ。

入院病棟 ~入院日記~

元気かな?空がきれいね。

 

隣の人が火曜日に退院した。同じくらいの世代かな。僕よりか少し後に入院してきた人で、足の手術を2回したようだ。この人も1ヶ月くらいの入院になった。入院生活長かったね、退院になってよかったねという気持ちはあったけれども、それ以上に心配になって、それ以上にかわいそうやんって思った。退院が決まった日も点滴スタンドを支えに歩いていた。痛みがなくなったわけでもなさそうだった。それでも退院なんだね、あと少し病院に置いてあげればいいのに、なんて思った。

 

冷静に考えれば、入院病棟の役割というものがあるね。決して完治するまで見守るものではないし、不安が消えるまで寄り添うものではない。どこかの時点からは患者自身が頑張らないといけない。

僕もそうだね。傷が塞がる、感染症や合併症はなさそうだ、これで退院なんだね。当分お風呂に浸かることはできないかもしれないし、何よりも右腕はやっと肩の高さより5度ほど上に上がるようになった状況だ。お医者さんからは昨日の時点でも、右腕をあまり動かさないように言われている。QOLは向上するだろうし、人生が好転していくだろう。けれども不安はある。

 

いよいよ病院から卒業する。多くの人に支えてもらった。十分によくしてもらった。残り数日の間に、いま僕の心にあることをすべて書き留めておこうと思う。

 

 

息子は何を感じ、考えるのか ~入院日記~

元気かな?次の連休のどこかで退院ということになったよ。

 

この度の2回の手術と入院のことは8月20日にわかった。入院が9月4日だったのでそれまでの間は何やかやでバタバタしていた。息子にも隠さずにそのままを伝えた。結果的に間違ったことを伝えていたりもしたが、その時は以下のようなことを話した。

 

「2回手術をする」「入院はそれぞれ1週間」「内蔵をいじるわけではないので大事ではない」「がんの可能性があり、1回目の手術では背中の一部を切除して調べる」「がんであれば2回目の手術は大きなものになる」「1回目の手術では人工の皮膚で蓋をしておいて、2回目の手術で皮膚移植をする」「1回目の手術よりも2回目の手術がたいへんだから、見舞いに来るなら2回目の時でいい」

 

結局、入院期間は一時退院時期を除いても30日以上になるし、1回目の手術の方がたいへんだったし、皮膚移植も正しくは植皮というらしい。がんであれば2回目の手術内容だけでなくすべての状況が変わっていたんだろうけど、幸いにそうはならずみんなが穏やかな時間を過ごすことができている。

 

単身赴任を解消させた時、息子はとてもうれしがった。単身赴任時でも1週間~2週間に数日は一緒に過ごしていたが、この度は思わぬことで1ヶ月以上家をあけることになった。息子は何を感じ、何を考えただろうか。このことが息子の人生にどんな影響をもたらすのだろうか。

僕は欲張りなので、今回の手術と入院が息子のこれからの人生にとってもいい出来事になってほしいと願っている。

 

 

下着のチョイスを誤る ~入院日記~

元気かな?昨日の晩ごはんは3割くらいでギブアップ、今日の朝ごはんはパンとバナナをいっぱいいっぱいで食べた。お昼ごはんはお蕎麦だったので救われた気がした。昨日のしんどさはなくなったけど食欲が戻らない。食欲の秋とはならないね。

 

昨日の院内放送呼び出し。わくわくしてナースステーションに行くと、今から治療とのこと。治療はないとのことだったので思わぬ治療宣言にテンションが上がったけど、困ったのは下着だった。2回目の手術で右足の膝上からお股の近くまでの皮膚を切り取っているので、足の治療となると下着がもろみえになる。探させて呼び出しさせて待たせてしまったので部屋に着替えに戻ることもできない。

 

その日は治療の可能性を排除していたので、どピンク色で体に密着する下着を身に付けていた。しかも伸縮性に優れているので恥部のフォルムが浮き彫りになる。大勢の支持を得にくいものだろう。見る人によってはいやらしい系下着と位置付けられるかもしれない。

 

2回目の手術日の下着チョイスは完璧だったのに、今回はおおいにしくじってしまった。想定力が不足している。僕はまだまだだね。

 

院内放送で呼び出される ~入院日記~

元気かな?寒くなってないかな。そんな気がするけどお昼はまだ暑いんだろうか。

 

昨日は発熱はたいしたことがなかったけど、お昼前からしんどくなってきたよ。ご飯も半分も食べられなかった。頭も痛くて15時過ぎまで寝てしまったよ。目覚めた後も体が重かったけど、1日中寝ているわけにはいかないと思って、ちょっと頑張って病院内の探検をすることにした。階段をゆっくり降りたりして最終的には正面玄関を出てベンチに座ってみたりした。

そろそろ移動をしようかなと正面玄関をくぐって3秒後、僕のフルネームが院内放送で呼ばれていた。病棟に戻りなさいだって。今日は治療がお休みだからいったい何事なんだろうと思いながらも、初めてのできごとがかなりうれしかった。興奮しながらエレベーターまでの長い廊下の真ん中を堂々と歩いた。廊下の両端には患者さんや病院の人たちがちらほらいた。この時の僕にはランウェイを歩いている感覚だった。

 

プロフェッショナルとしてのお医者さんを体感する② ~入院日記~

元気かな?体重が1㎏増えていたので食堂での午前のつまみ食いはやめることにしたよ。午後は実行するけどね。

 

続きの話。プロフェッショナルを体感した3つ目は、抜糸前の左背中を鏡で見たとき。右背中はずっと密閉状態が続いたけど、左背中はガーゼの張り替えの間隙をぬって鏡越しに見ることができた。糸が路線図のようになっている。比較的ひどい状態ではなかった左背中でさえこの縫い痕。どれだけの細かい作業をしてくれたのか。すごい。ありがたい。

4つ目は、手術後の毎回の処置の時。手術の範囲が広かったからそもそもある程度の時間がかかるのかもしれないが、長い時間をかけてくれている。背中で起こっていることだし、処置をサポートするもう1人のお医者さんと看護師さんへ指示している薬品や道具のこともわからないから、実際のところはわからないが、とにかく丁寧に丁寧に作業をしてくれていることは十分に伝わってくる。

5つ目は、2回目の手術後の毎回の処置の時。1回目の処置中、処置後に痛みに悶えたので、そうならないように薬品などを選んでくれていることが、サポートするもう1人のお医者さんとの会話からわかる。傷痕を無事に、きれいにするだけでなく、痛みや不自由さにまで心を配ってくれている。

 

きっといいお医者さんに出会ったんだろう。尊敬と感謝でいっぱいだよ。

 

プロフェッショナルとしてのお医者さんを体感する① ~入院日記~

元気かな?今日は治療がお休み。検温と血圧測定がまだだけど、食堂に来たよ。雨が降っているね。涼しいのかな、まだ蒸し暑いのかな。

 

最初の診察と1回目の手術の事前説明でどんな手術をしてもらうのかは大体わかった。当然それ以上はわからなかった。手術に立ち会うこともできないし、手術中は麻酔で眠っているだけだったからね。ガーゼだらけで手術痕もわからない。5時間を要したということと成功したということを後から聞いて、「ただただ感謝とただただお疲れさまでした」という気持ちだった。それが、5つのできごとを通して、「ただただ尊敬とただただ感謝に」変わっていくことになる。

まず、手術をしていない首の動きがぜんぜん違ったこと。はじめて知る快適さだったこと。体が変わったと感じることができた。すごいと思わざるを得なかった。

次は右腋のガーゼが外れ、鏡を見た時。色や膨らみ方などはかなり痛々しいけれども、いわゆる普通の腋の形状になっていた。はじめて見た景色だった。周辺の皮膚も結構傷んでいたので、デリケートな作業をしてもらったんだなと感じた。もはや想像しきれない技術なんだろうと思った。

 

お医者さんの専門性が高いことは知識として知っている。けれども実感、体感できる経験はあまりない。担当してくれたお医者さんを通してプロフェッショナルを体感できたことも、僕の人生の中で財産になるだろう。

 

 

QOL ~入院日記~

元気かな?1回目の手術の2日後に大きな体の変化を感じた。

 

1回目の手術でメスが入ったのが、右上腕、右腋、背中全般。大きな変化を感じたのは今回触ってもいない首だった。首が前後左右に普通に曲がる。手術をするまでは昔の傷痕が必ず突っ張って、前に倒す時、左や左前に倒す時には違和感がついてまわった。そのせいで可動域が狭かっただろうから、周辺の筋肉に負担がかかっていたのかもしれない。肩凝りがひどいことのも1つの原因だったかもしれない。

2歳から付き合ってきた違和感と不自由感。これが当たり前だと思ってきた。でももはや少なくとも首は今まで以上に動くようになっている。しかもストレスなしに。

 

首を動かすのと同時に「quality of life」という言葉が頭に浮かんだ。僕の生活の質が明確に向上する。これから腕と背中の可動域も拡がっていく。

 

この度の入院と手術で僕のこれからの人生はきっと好転していくんだろう。