優しい人 ~入院日記~

元気かな?力強さと愛に満ちた本に出会ったよ。

 

写真家の幡野広志さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』という著書。僕は幡野さんのように死に直面しているわけではないけれども、僕にとってはベストなタイミングでこの本に出会えたと感謝している。

本の中で「優しい人」について次のように表現されていた。

・優しい人というのは、人の体や心の痛みを理解できる人だと。

・相手を慮ったうえで、自分のできる方法で手をさしのべることができる人が、僕が思う、本当に優しい人だ。

 

僕には大きな夢も目標もない。ただ優しい人になりたい。今回の誕生日の際に思ったのも、優しい人になりたいということだった。

この世のすべての人の体や心の痛みを経験することはできないし、理解することはできない。でもこの1ヶ月で、多くの人のおかげで、人の体と心の痛みについての想像力だけはましになった気がする。相手を慮るだけの土台は少しは築けた気がする。

入院生活はいよいよ終盤に入った。少しでも優しい人になれるように、この心穏やかな時間を噛み締めて過ごしたい。

 

 

 

自覚症状 ~入院日記~

元気かな?昨日は昼寝をしたのとラグビー観戦で興奮しすぎて、1時まで寝れなかったよ。

 

昨日も痛みどめは必要なかった。頭と太ももを冷やしながら寝たら朝までぐっすり寝られた。熱も初の2連続37度切りという快挙。血圧が150あるのはなんでかな。

 

自覚症状上はかなりいい感じ。髭を剃って洗顔してさらに調子がいい。サポートなしで左手でいけそうだったから、シャンプー台を借りて大好きな洗髪をした。これでますます調子がいい。シャンプーの香りが頭から降りてくる。これも快感。

 

多くの人の支えでここまで回復した。ありがとう。とはいえ、現時点でもお医者さんからは退院の話題が出ない。自覚症状は屈強人間のつもりだけど、調子に乗らないように気をつけるね。

きれいな色 ~入院日記~

元気かな?テレビは毎朝夕のニュースを観ている。あんぽんたんな記者会見が話題になっているね。僕も気をつけようと思ったよ。

 

背中の右半分は今もガーゼとテープできっちりと蓋をされている状態だけど、1回目の手術で切ったり縫合してもらったりしたところはすでに剥き出しなので鏡越しに見ることができる。そのうちの1つの右腋周辺が時々ちくちく痛む。お医者さんは毎日「背中はどうですか」「足はどうですか」と聞いてくれる。右腋も時々痛むと訴えると、治るまでに数ヵ月はかかるものだけど、腫れてもいないし、「きれいな色」をしている、だから大丈夫だと言ってくれた。

 

大丈夫と言ってもらえた安心感を通り越して僕を極めて興奮させたのは「きれいな色」という表現だった。えぐれた背中ほどの恐怖感はないまでも、右腋も結構グロテスクでおそろしい。10000歩譲って「興味深い色」「複雑かつ濃厚な彩り」と表現できなくもないが、決して「きれいな色」とは思えない。

 

立場の違いだね。同じものを見ても感じ方や解釈がぜんぜん違う。おもしろくてたまらない。

退院に向けて試される ~入院日記~

元気かな?6時まで一気に寝ることができたよ。痛めどめもなし。熱はようやく36度8分。いいことしかないね。調子がいいので、食堂の窓際でレモンティーを飲んでいるよ。

 

背中の傷跡が徐々に塞がっていて、太ももの皮膚もガーゼの下で着実に再生しているんだろう。歩くのも自然にできるようになってきた。ランウェイを歩くのはまだ無理だけど。

 

身体的には1日1日よくなっていることを実感できているけど、昨晩認知能力の低下を思い知らされる事件が起こったよ。晩ごはんのトレイにブドウゼリーが置いてある。トマト中心のサラダの横で、白~クリーム色の半球体が小皿の中でかわいらしくたたずんでいる。今日はデザートが2つもつくのか。誕生日だもんね。バニラアイスも好きだからうれしいな。なんて喜んでいた。スプーンを近づけたら何かおかしい。においも違う。なんだこれは。マッシュポテトじゃないか。

 

退院に向けた試験だったんだね。見破れなかったよ。全快まではまだまだだね。

心配りと仕組み ~入院日記~

元気かな?売店近くの窓から見える空が美しかったよ。

 

先月の話。十五夜の日の晩ごはんのトレイに、葉書サイズのお月見のかわいらしいイラストが描かれたカードが乗っていた。そのカードを通して季節を感じることができた。カードには「栄養士・調理師一同」と印字されていた。おまけに、デザートのゼリーの真ん中にはお月さんみたいなまん丸のものが入っていて、そのお月さんでウサギが餅つきしていた。ほっこりした。

 

今朝の話。朝ごはんのトレイに、葉書サイズのバースデーカードが乗っていた。カードには「栄養士・調理師一同」と印字されていた。嬉しかった。すごいなと思った。

 

手作りのカードではないし、一人ひとりに合わせた個別のデザインでもないだろう。大量に作っているものだろう。僕の誕生日を覚えているわけではないし、何者かも知らないだろう。でも季節のイベントや個人的なイベントにあわせて、一人ひとりに心を配る仕組みがある。その仕組みによって癒される患者がいる。同じように仕組みを使って誕生日に営業くさい、宣伝くさいメールが企業やお店から届くが、心配りを感じはしない。

 

この病院に入院できたおかげで、心配りと仕組みは両立するんだということを学ばせてもらった。素晴らしい誕生日プレゼントだったよ。

 

 

誕生日を迎える ~入院日記~

元気かな?昨日の夜、大きな雷の音が聞こえたよ。家にいたら怖かったかもしれないね。

 

もう大丈夫という自信があったんだけど。朝まで一気に寝られたのはほんの1日だった。今朝も4時に痛みどめを飲んだ。ただ今日に限ってはそれから眠っていない。意識していないつもりだけど、誕生日で感情が高ぶっているのかもしれない。髭剃りと洗顔を済ませて、お気に入り下着を身につけて、パジャマを着替えて今は共用スペースにいるよ。

 

自分の誕生日に関しては、僕にはめでたいという感覚はない。この日を無事に迎えられたことの安堵感。僕が勝手に恩人登録をしている、出会えて幸せだったと思える人への感謝と、その人たちの人生が少しでもよりよくなることを祈る気持ち。自分のためにも大切な人のためにも優しくしっかり生きていきたいという決意のような気持ち。こんな気持ちが入り交じって穏やかな心になる。

 

誕生日を病院で迎えるなんて考えもしなかった。でも入院や手術をしたおかげで宝物のような時間を過ごせている。恩人登録も増えた。すばらしい誕生日になった。

 

ありがとう。

アメとムチでメロメロになる ~入院日記~

元気かな?痛みどめなしで6時半まで寝ることができたよ。途中で目が覚めなかったのは約1ヶ月ぶりかな。たいへんめでたい日だよ。

 

昨晩は二重お味噌汁という罰と辱しめを受けた。しょんぼりしていたら、お昼ごはんで大好物の唐揚げが出た。はじめての唐揚げ。敢えてこのタイミングで大好物を出してくる。2日にわたる急激なムチとアメで、もう僕はメロメロになってしまった。胃袋と心を鷲掴みにされてしまった。おまけに、5個くらい食べたいのにたった2個しかお皿には乗っかっていない。なかなかやり手である。こんなことをされてしまっては、もう従順な患者にならざるを得ない。完敗。

さっそくバチがあたる ~入院日記~

元気かな?今日も暑いのかな。

 

さっそくバチがあたったよ。夜ごはん到着にピタリと合うように、こっそりとお忍びお味噌汁をスタンバイ。素晴らしき味噌汁のにおい。嗅覚が悶えていたよ。

病院食はまだ100回には満たないけど、ここまでお味噌汁が登場しなければ、もはや起こり得ないと思い込んでしまう。が、しかし。なんで。豆腐のお味噌汁がトレイに乗っかっているよ。

お味噌汁出現に本来なら狂喜乱舞の瞬間であっただろうに、ショックに打ちのめされた。苦労して2杯のお味噌汁を飲むことになったよ。

悪事をはたらく ~入院日記~

元気かな?10月になっても暑いんだってね。

 

僕には好きなものがたくさんあるけれど、お味噌汁もそのうちの1つ。病院食で意外だったのが1度もお味噌汁が出てこないこと。これも新発見。発見はうれしいけど口はさみしい。

引き出しには紙コップと簡易味噌汁を忍ばせている。1回目の入院の終盤には、こっそりナースステーションの前を通って、味噌を入れた紙コップに給湯室のお湯をこっそり入れ、こっそり部屋に持ち帰り、こっそり味わっていた。

 

 最近はスムーズに歩けないのとそこまで食欲がわかないので、味噌汁は封印状態。でも今晩あたりにでもお忍び味噌汁やってみようかな。悪事をはたらく元気がでてきたみたいだね。

おあげさん ~入院日記~

元気かな?発熱があるけど頭は結構クリアなつもり。

 

また新たな自己発見をしてしまったよ。病院食が大好きな僕だけど、とうとうテンションが上がらない食事を経験してしまうことになった。

最近の晩御飯。サラダと何かちょっとしたおかずとメインディッシュ。メインディッシュと白ごはんを一緒に食べる至福の時。だけどその時のメインは「おあげさん」。たこ焼きでも明石焼でもたいがいのものはご飯のおともになるけれど、あげはならなかった。焼き飯をおかずにしてでもご飯は進むのに、あげはだめだった。

おあげさんごめんなさい。でも新発見ができてうれしかったよ。

 

 

忘れたくないこと② ~入院日記~

元気かな?もう1つ忘れたくないことがある。

 

手術をしていろんなところが痛かったり、動かしにくかったりしている。仙豆を食べるわけでもないから一瞬で元通りに元気いっぱいになるわけではない。そんな中、それでもほんの小さな変化を日々感じることができる。

 

腕が5ミリ伸びるようになった。腕を少し捻れるようになった。腕が肩より上にあがるようになった(まだまだだけどね)。腕を少し後ろに回すことができるようになった。着替えのスピードが上がった。

背中が痛む回数が減った。体を動かす前にいちいち痛まないように身構えることが減った。寝返りに時間がかからなくなった。起き上がるのに時間がかからなくなった。痛みどめがきくようになった。痛みが耐えられる程度に落ち着いてきた。背中を丸められるようになった。椅子に座れる時間がのびてきた。

歩くときの痛みがましになった。太ももが上がるようになって躓くことが減った。歩くのが少し速くなった。

 

毎日確実に状態がよくなっている。それぞれの体のパーツががんばって本来の姿を取り戻そうとしているのを日々感じることができている。

 

こんなささやかなことがうれしくてたまらない。いっぱいの人に支えてもらいながら、しっかりと生きている。この感覚を忘れたくない。

 

 

忘れたくないこと① ~入院日記~

元気かな?忘れちゃうんだろうなと思いながらも、忘れたくないから少しでも忘れないように記録するよ。

 

回復してきたのか、病院食をぱぱっと食べてしまうようになって、すでにある感覚が麻痺しかけている。

入院はじめの弱っている時は、1回1回の食事の素材や調理を1つ1つ受け止めながらゆっくり噛んで食べていた。そうすると食べている途中からでも明らかに体温が上昇しているのを感じることができた。お鍋を食べて熱くなるのとは違う。じわじわと力強く体の中が燃焼している感覚。体のことをしっかり考えて作ってくれている食べ物が確実に僕の体の中でエネルギーになっているような感覚。食べ物と僕が結び付いている感覚。作ってくれる人と僕がつながっている感覚。

 

忘れたくなかったのは、人間の体ってこんなことを感じとる力があるんだってこと。いろんな人や物がつながりあって毎日があるんだってこと。生きてるってすばらしいね。

 

 

ゆっくりゆっくり歩く ~入院日記~

元気かな?入院中でなかったとしても僕は駆け込み需要はしなかっただろうと思うよ。

 

頭がふらふらしていなければ、少しでも歩くようにしている。ゆっくり歩くお年寄りの患者さんよりもゆっくり歩いている。おそらくあなたが想像しているよりもはるかにゆっくり歩いている。

歩いているというのは表現が正しくないね。そのスピードでしか歩けない。太ももが上がらないし、動かす度に太ももが痛む。

 

この入院を経て少し優しい人間になれる気がする。やたら遅く歩く人の事情や気持ちやたいへんさが今では想像できる。歩行に限らず、僕はスピードやテンポの遅い人が苦手で、ストレスになることが多かった。その人たちのせいではないのに、僕が身勝手にイライラしていた。

優しくなれるだけでなくて、どうやら生き方まで変わっていくんだろうなっていう気がしているよ。すばらしい入院になっているよ。

背中の機械とどこでも一緒 ~入院日記~

元気かな?日中はまだ暑いんだろうか。痛みどめを多用しているよ。

 

2回目の手術前の説明で、お医者さんが「機械がかわります」と言っていた。今もその新しい機械がついていて、どこでも持ち歩かないといけない。

重さは前と同じくらい。今回は小型バッグ付きではないので、持ち運びはちょっとしにくい。機械の下部には半透明の容器がついていて、塩のようなものがたまっていっている。

機械には「smith & nephew」と書いてある。なんとも癒される名前だ。アメリカ製らしい。

あと数日でこの機械とお別れする予定とのことだ。四六時中一緒にいたので別れがさみしいなんて感覚になっているよ。

ようやくの熟睡 ~入院日記~

元気かな?2時間おきくらいに目が覚める日々が続いていたよ。タイマーで測ってるかのように。僕は律儀だね。

 

4時に看護師さんに来てもらって痛みどめを飲んだ。朝方に看護師さんの仕事を増やすのは申し訳ないと思ったけど、ちょっとだけ我慢が難しかった。

これまでも痛みどめは飲んできたけど、今回ははまったみたい。3時間弱連続で眠ることができた。しかも熟睡。こんなことでもすごくうれしい。

短時間でも熟睡できたせいか、頭の中のもやが今は晴れているよ。いい1日になるっぽい。