〇〇すぎる

元気かな?

「美しすぎる〇〇」「天使すぎる〇〇」とか、ちょっと言い過ぎじゃないのって思うことも多いけど、自分には関係がないから「まっいいか」って感じで流している。

花粉症の薬を飲むと喉が渇き過ぎるけど、飲まないわけにはいかないから「まっいいか」って感じで流している。

成果をアピールし過ぎるっていう人は、ちょっと前まではすごく苦手だったんだけど、今では「まっいいか」って感じで流せるようになった。

 

どんな環境で、どんな条件で、どんな難易度の仕事を、どれだけの人の力を借りて、どれだけの時間をつかって、どれだけのお金をつかって、したか。また、その仕事によってどんな効果がもたらされたか。大き過ぎない組織なら、その人の仕事ぶりはほとんど掴めていて、アピールしようがしまいが成果ははっきりしているはず。

にもかかわらず、自身の誇大広告を聞いていて恥ずかしくなるほど提示する人が存在するというのはなんでなんだろうって長年理解できなかった。評価を得るのに必死という場合もあるだろうし、そういう性格っていう場合もあるだろうね。でも一方で、誇大広告を声高に叫べば収穫があると思わせてきた組織風土があるのかもしれないし、それっていうのは仕事を具体的かつ多面的に評価するという仕組みがその組織にないってことだよね。僕の中で問題の所在が個人から組織に移った時に、そういう人が気にならなくなった。

もともとの性格ももちろんあるだろうけど、所属する組織が何を評価して何を評価しないのかによって、その人の仕事の能力や仕事上の品格は高まりもするし、おかしな方向にいくこともあるんだろうね。特に、組織にどっぷり浸かりすぎる人にとっては組織が自分にくだす評価が極めて大事だから、評価の仕方の影響は測り知れないだろうなって思うよ。

能力も品格も高めるような評価軸と具体的な評価ポイントをもっている組織ってどれくらいあるんだろうね。きっと難しいだろうね。組織は組織でよりよい状態を目指さないといけないけれども、組織に振り回され過ぎることのないように、結局は自分自身でしっかりと自分を評価できて、自己成長させられることが大切だなって思うよ。