ある講演会にて③

元気かな?

講演会を3つの立場で捉えてしまうっていう話のつづき。今日は「プロデューサー、運営者として」。

講演会を企画するのは何らかの意図があるはず。「物を売るため」だったりとか「人か何かのプロモーション」だったり「勧誘」だったりという目的もあるだろうけれども、僕の会社の社内向けの講演会においては、どんな講演会であっても、「メンバーを活性化させ、仕事の質を向上させ、組織体質を強化する」ということに結び付けなければいけない。

本社主催の講演会は、大きなテーマと実施日まであらかじめ決まっていて、講師の選択範囲も狭く決まっている。そういう制約はあるものの、それでも「メンバーを活性化させ、仕事の質を向上させ、組織体質を強化する」目的を果たすために自由に発想することができる。事業所が主催する講演会は、テーマも講師も実施日も、するしないも好きに決めることができるが、やはり目的は同じになる。

先日参加したある事業所の講演会の講師は、会社の考えとはあまり相容れない考えを持った人だった。これは少し調べればわかることだった。講演の場ではその考えを口にすることは封印していて、最後にこじつけで聴講者にエールを送ってくれていたが、そもそもなぜこの人を講師として呼んできたのかという疑問が起こった。情報量が少なくてピントのずれたもので、示唆に富むとは言い難いものだったが、「講師の実力は本当はすごいんだけど、運営者の打ち合わせ・段取りに問題があったかもしれないな」とも思った。

まだ盛り上がれば救われたんだけどそれもなかった。一言でいうと、「何がしたくてこの講演会を実施したのか」がまったくわからないという代物だった。プロデューサー、運営者の立場からみると、目的が見えない、効果も感じられない講演会はかなり痛々しかった。

秋の大きな講演会のプロデュースをすることになっているけれども、気を引き締めて臨みたいと思ったよ。