ある講演会にて②

元気かな?

講演会を3つの立場で捉えてしまうっていう話のつづき。今日は「講師」として。

冒頭の話がちょっとダラダラとして20分かけていたんだけど、「ひょっとしたら、これが伏線になって、最後に何かを畳みかけたり、どんでん返しを持ってくるとしたらすごいよね」「ダラダラしていたのも実は演出でした、っていうことになったらかっこいいよね」なんて期待したりしていた(←期待はずれだったんだけどね)。

つまり、話の中身自体ではなくて、「この講師は、このあとどんな話の展開を用意しているんだろう」とか「どんなストーリーを用意しているんだろう」みたいなところに興味を抱いてしまう。「何を最も伝えたいと思っているんだろう」とか「そのためにどんな話題をどんな時間配分や順番で選択しているんだろう」とか、「講師のイメージを実現させるためにどんな仕掛けをしているんだろう」ということにもアンテナを立てながら聞くことになる。

他には、講師の専門性がどのようなものか、洞察の程度はどのようなものか、ということも気にはなってくる。

またそれとは別に、「講師は聴き手の状況をどれだけ知っているだろう、もしくは、知ろうとしただろう」というような、「講演にあたって、相手の立場や状況をどれだけ勉強しただろう」ことも気になる。

僕は必ずしも優れた講師ではないけれども、先日の講演会は「講師としてどうあればいいか」ということをあらためて考えさせてくれるいい機会になった。

 

この話、あと少しつづくよ。