親和性

元気かな?
今日の朝、電車の中で「親和性」ってことばが突然思い浮かんだ。親和性っていうのは、物事の結びつきやすさのこと。相性のよさって感じかな。

「頑張ったら(もしくは、頑張ってるアピールがうまくいけば)許される」組織について考えていた。組織としては将来性がないはずだけど、堂々と存在し続けていて、変化の兆しがなかったとしたら、それはなんでだろうって。今の日本のビジネス環境を考えたら不思議だよね。

理由の1つは、きっとその方が都合がいい人たちがいるからなんだよね。仕事そのものを多面的かつ客観的かつ公平に評価してしまうと、本当の成果が表に出る。いい成果ならいいけど、よくない成果だったら困る人たちがいるんだろうね。たとえばある思いつきを実行して損失が出た、売上は目立ったけど利益は実はマイナス、思い入れの強い事業が赤字続き、大金を投入した戦術の実績が目標値の半分にも満たない、声は大きいけど実は何も生み出していない。あくまでも架空の話だけどね。

そうすると普通なら説明責任、結果責任が発生する。そんな責任を追わされて身分が危うくなるのは嫌だ。だったら、「頑張ってるんだから取りあえずいいんじゃないの」っていう体質の方が身の安全が脅かされる心配がなくて居心地がいい。しかも頑張ってるかどうかという評価はすごく主観的だから、自分でさじ加減がしやすい。

こんな風に考えると、「頑張ったら許される」組織風土っていうのは、結果責任を負いたくない既得権者と極めて親和性が強いんだなって思う。なるほどなるほどって一人で納得したよ。組織っておもしろいね。

今日もいい日だったよ。あなたにとっても幸せを感じられる1日であったなら、とてもうれしいな。