前提を疑う

元気かな?

イデアを出していくための過程において、「前提を疑う」っていうのは大切な要素じゃないかなって僕は思っている。そんなに間違った考えではないんじゃないのって思ってるけど、実際に実行されるのは難しいみたいだね。

ある会合に参加しながら、不謹慎にも、「どうして前提を疑わないんだろう/疑えないんだろう」って想像してみた。ポイントはこんな感じかな。

・何らかの前提に基づいて話が進んでいることに気づかない

・まず前提を疑ってみようということを思いつかない

っていうのがあるよね。他には、

・前提を疑って物事を組み立てていくというプロセスを経験したことがなくて、実際にどうすればいいかがわからない

っていうのもあるよね。他には、

・とっとと報告文書の体裁を整えて「多面的に討議しました。がんばりましたよ!」とアピールしたいのに、前提を疑って本質的な議論をしていたら時間がなくなる

っていうのもあるかもしれない。または、

・もしも前提が覆ってしまったら、自分の顔がつぶれる(あるいは、誰かの顔をつぶすことになる)

・もしも前提が覆ってしまったら、既得権益の根拠が揺らぐ

・もしも前提が覆ってしまったら、組織体制が変わってしまう

っていうのもひょっとしたらないとは言えないかな。

 

もっと前向きなことに神経を使えたらおもしろいんだけど、こんなことに興味を持たざるを得ない場っていうのも実際にあるね。というわけで、今日は不謹慎な想像の話でした。