富士山④ ~スマートフォンの出現~

元気かな?
ほとんど何の知識も準備も段取りもなしに富士山に出掛けたわけだけど、高山をなめきっていたこと、何とでもなるっていう性格だったこと、無計画がカッコいいと思っていたこともあるけれども、調べるのが面倒くさかったっていうのも大きな理由だったと思う。携帯電話はまだ電話とメールが主な機能の時代だったし、その他での利用はせいぜい着メロと待ち受け画面設定くらいだったから、調べようと思うと、人に尋ねるか本や雑誌を見るしかなかった。パソコンでGoogle検索できるようになるにはあと数年待たなければならなかったけど、そもそもパソコンの前に座って電源を入れてってこと事態がきっと面倒に感じただろうと思う。

スマートフォンの出現は、少なくとも僕から「ちょっと調べる」という心理的・物理的・時間的ハードルをなくした。恐らく、もし当時スマホを持っていたなら、計画は立てないまでも、ごくごく自然に事前にいろいろ知識武装もし何らかの準備は充実させただろうと思う。とんでもなく便利な世の中かつ失敗のしにくい世の中になってるんだなって思うよ。

でも、一方で、何が起こるかまったくわからないっていうワクワク感や自分の見通しの甘さからくる後悔や絶望感、予期しなかった感動、との巡り合いは少なくなっているか濃度は薄まっている気がする。

便利だけどつまんないかも。
ぜいたくな感情だろうけど、こんなことを感じてるよ。