いきなりオンライン授業

元気かな?

学校の初めての授業から1ヶ月が経った。もう随分前のようだけどまだ1ヶ月。初回の授業だけは緊急事態宣言直前だったので学校で行ったけど、あとはずっとオンライン。入学式もなかったよ。夜の部の学生は人数が少ないからできるだけ早くに仲良しになっておきたかったけど、その機会は得られなかった。

通信環境を整えなければいけなかったので、ポケットWi-Fiを購入した。マイク付きのイヤホンも購入。どうしても必要というわけではなかったけど、勢いでモニターも購入。さらにもっとどうしても必要というわけではなかったけど、イヤホンやマウスを入れるポーチ(CHUMSのグレートとネイビーの2色のもの)も購入した。

授業中の質問は、音声でもチャットでもどちらでもウェルカムなのでとてもやりやすい。ところが専門用語などよくわからないことばも結構出てくるので、その都度スマホで調べている。話がどうしても理解できそうにない時は授業中にkindleで「マンガでわかる〇〇」みたいなのを購入して次の授業までには追い付くようにしている。便利な世の中になってるね。

突然画面が黒くなったり、突然画面が固まったり、いろいろと心臓に悪いことが突然起こる。「どこまでパニックにならずに現状復帰できるかな?」と自分にプレッシャーをかけながらメンタルも鍛えたりしている。

オンライン授業を始めてすぐに、(不便さはあるかもしれないけど)これはこれで何とかなるもんだなと感じた。1ヶ月経ったけど、当初と同じく、何とかなるねと感じているよ。

 

入学手続きまでにいくつかの囁きがあった。

元気かな?

 

12月下旬に合格通知が届いて一安心だったけど、その時点で翌年の3月・4月の仕事は疲弊モードになることが確定していた。何とか4月を気合で乗り切ろうと思っていたので、入学手続きをすることにためらいはなかった。

年が明けて術後の定期検診があった。傷痕は落ち着いたと言ってもらえた。手術前と比べると背中と右腕の機能は随分と向上して満足していたが、いわゆる正常レベルではないだろうことは自覚していた。お医者さんは再手術を提案してきた。お医者さんの言うように気になる3箇所にメスを入れたなら、僕の背中と右腕の機能はさらに大幅に向上するだろうことは僕にも想像ができた。夏くらいにと言われた。もしも手術を受けるとなるとおそらく1か月半くらいは社会復帰できなくなる。そうすると学校もそのまま1か月半休むことになる。その代わりに僕の体はさらによくなる。

そうこうしているうちにコロナ不安が蔓延し始めた。職場や会社全体が混乱することは想像できた。僕の仕事自体もどうなるかが読めなかった。

でも僕は入学手続きを済ませた。4月からの2年間がきっと僕の人生の転換点になる予感があったし、転換点にしようという意志があったからね。

まだ変化は目に見えないけど、僕はすでに変身しはじめているのかもしれない。どのような姿に変身するのかはわからないけど、少しはかっこいい大人に近づけている気がしているよ。

このまま受験すべきか、0.3秒だけ立ち止まった。

元気かな?元気でいてほしいな。

 

2019年6月のオープンキャンパス参加から、「9月から準備の12月受験」と腹を括った。ところが何があるかわからないね。8月下旬に手術と入院が決まり、9月10月には2度の手術と入院生活が待っていた。

準備といっても試験は書類と面接なので、何かを専門的に勉強しまくる必要はないんだけど、仕事の合間に自分の考えをしっかりと整理して言語化できなければいけないから、それなりの準備期間を用意していた。

結局日常生活ができるようになったのは10月末からだったので、当初の予定は狂いまくったけど、諦めたり1年後チャレンジの可能性は0.3秒後にゼロになった。ここにいたるまでに、せっかく「仕事があるから学校にいけない」とか「家庭があるから学校にいけない」とかいう言い訳を断ち切ったのに、「手術をしたからしばらくは今まで通りに暮らそう」とか「予定が狂ったからチャレンジはそのうちいつかしよう」みたいな結論は絶対に選択したくなかったからね。

まあ慌ただしかったけど、何とか受験にこぎつけ、面接も終えられた。これまでずっと面接をする立場だったので、面接をされる側になっていろいろと質問されてものすごく興奮したよ。エクスタシーだったね。

チャレンジしなくても許されるような正当な理由が用意されていたんだけど、決めた通りに前に進んでよかったと思ってるよ。

 

 

オープンキャンパスに行った。英語を使いこなせない自分が残念だった。

元気かな?痛みが和らいできたので筋力回復のリハビリを開始したよ。

昨年の6月の下旬に開催されたオープンキャンパスに行った。夜の部に参加したのは僕と中国の学生さんだった。その学生さんはもともとITスキルがあるようで、日本語も上手だった。そしてさらに大学院でITスキルを高めようとしていた。開始前から僕はすでに刺激を受けてテンションが上がっていた。担当の方の説明が始まると、僕の価値観やこれから歩みたいと思っている人生の方向に重なる部分が多いと感じた。社会課題の解決をテーマにしている理念にもたいへん共感した。たまたま見つけた学校に資料請求をしオープンキャンパスに参加したのだが、「どうやら僕はここで学ぶ流れになっているんだろうな」と感じた。まだ受験もしていないし合格もしていないのに勝手に流れや縁というもの存在を味わっていた。

外国人比率が高いことを説明で知った。そして英語のみで行われるコースがあることを知った。そのコースは僕にとってかなりわくわくするものだった。しかしながら、僕には英語で大学院の授業に参加し、英語のみで議論や研究をしていくだけの英語力はこれっぽっちもない。なので残念ながら英語オンリーのわくわくコースに交わることはできない。「英語ができれば選択肢が増えるだろう」ことは頭ではわかっていた。だけどこの時はじめて、「英語力がないと自分の世界を拡げられない、英語力があるともっとわくわくできる」ことを痛感した。同時に「少なくとも外国人の学生さんたちと英語で交流できる程度にはなんとか英語力を高めていきたい」というモチベーションが沸き起こった。これまでに英語を身につけるチャンスや時間はいくらでもあっただろうに、今になってはじめて英語を勉強したいと思い始めた。

いろんなことを感じながら、オープンキャンパスが終わるころには受験をすることは決めていた。仕事の関係で受験は12月、準備は9月くらいからだなと決めた。

 

 

学校に通いたくなった。それでさらに自分を発見した。

元気かな?11月に仕事復帰してからもう少しで3ヶ月になろうとしている。痛み止めを完全に手放すことができていないけれども、随分と生活や仕事がしやすくなっていて、ご機嫌で暮らせることが多くなっている。

 

手術や入院を挟んだので大昔のような感覚があるんだけど、「大学院か大学に行きたいな」という欲求が強くなったのが昨年の4月。調べたり資料請求をしたのが4月末だった。その時に僕が一番大事にしたのは、「損得ではなくて、僕が心から関心があると思っている領域であること」だった。当面は今の仕事と両立するつもりだったので、「夜間や土日通学でもOKであること」、「家から1時間以内で通える場所であること」も外せない条件だった。

 

当初から候補筆頭は「もともと興味があってつまみ食いしていた心理学をきちんと学んで、極めていきたい」ということで、入学先選考レースでも終盤までずっとトップだった。ところが自分のこれからの人生やモチベーションをさらに考えていくと、次の事柄も僕にとっては結構大事だということがわかってきた。「僕がしたいのは研究ではなくて、実践や表現であること」と「ど素人状態のゼロからチャレンジしたいこと」と「日常生活で交わることのないような人たちの中に入ること」の3つだった。そうして入学先を「芸術領域」と「情報技術領域」に絞ることができた。

 

最終的には、「社会課題の解決に人生の時間を使いたい」というもともとの想いを判断軸として、「情報技術領域」に飛び込んでみることに決めた。この時点では既に入学先を比較検討しようという気持ちはなく、僕の条件を満たすその時にたまたま目に入った学校に資料請求をすることにし、オープンキャンパスに参加することにした。

ドリアン・グレイの肖像 ~療養日記~

元気かな?手術痕は順調だと思うけど、飲み薬と保湿クリームは欠かしてはいけない。

 

僕にはテレビ番組を録画する習慣がない。中学生の時にテニスのウィンブルドンの決勝戦を録画していたことがあったのと、単身赴任時にEテレの「プラネット観光タクシー」を録画したくらいしか記憶がない。テレビはあまり観なくなったが、観たいものがある時は放映している時か再放送を観ることになる。

 

時効警察」が新しく放映されることになったのはうれしかったが、関西では夜遅くに放送するので今の僕には観ることができない。再放送か、アマゾンプライムか、AbemaTVか、Netflixで登場するのを待っている。

さて、12~3年前の時効警察の何話目かの温泉宿が舞台の話の中で「ドリアン・グレイの肖像」が話題になったことがあった。それまで存在を知らなかったのだが、印象が強かったのか、この度の時効警察の番組宣伝を観た時になぜか「ドリアン・グレイの肖像」のことを思い出し、せっかくなので療養中に読んでみることにした。「幸福な王子」を書いたオスカー・ワイルドが作者だったことは表紙を見るまで知らなかった。電子書籍kindleで購入したために本の分厚さがわからないままだったが僕の小説経験の中では結構な長編小説だった。中身も僕にとってはスラスラ読めるものではなく読み終えるまでに時間がかかったが、今日のお昼に最後まで辿り着いた。

 

時効警察を観始めた時は、まさか自分がオスカー・ワイルドを読むことになるとは思ってもみなかったが、どこで何がどうつながるかわからない。おもしろいね。

自動車運転免許更新 ~療養日記~

元気かな?まだ療養中。

 

帰省したついでに自動車運転免許更新に行ってきた。更新締め切りまで残りわずかだったこともあるし、リハビリとしてもおもしろいと思ったから。梅田は人が多いといっても通り過ぎるだけだけど、試験場は何百の人たちとおそらく何時間もじっとしていなければならない。来場数に比べて椅子の数が極端に少ないので写真撮影と30分の講習以外はずっと立ちっぱなしになる。

5年前の更新の際には「時代も変わってるし、どこまで効率よくストレスなく事を済ませられるかな」とわくわくしながら臨んだ。ところが5年前の時点においても、待たせて並ばせてという形態は変わっておらず、ちょっと並ばせ方がよくなったかなという印象だった。5年前の時点においても、写真撮影時と免許の受け渡し時に大勢の人がいる中でフルネームを呼んでいたことは特に想像と違った。時代が変わってもここは変わらないんだなという感想を持った。

今年はあれからさらに5年。手続き方法は前と同じようだし、到着するやいなや長蛇の列。根本の発想はかわっていないことがすぐにわかった。ただ、免許の受け渡しは整理番号で管理するようになり、フルネームを大声で告げられるのではなく係の人に自分の名前を伝えるだけになったので、その点はこの10年で最も大きな進歩だなと感じた。

 

自動車運転免許更新のシステムについては相変わらず感、残念感が大きかったけど、人込みの中に居続けられるか、立ち続けられるか、イライラせずにいられるか、メンタルをコントロールできるか、というテーマから見ると、自分の現状をよく把握できていいリハビリになった。

祖母の認知症 ~療養日記~

元気かな?最寄り駅に向かう階段の両端がどんぐりで埋め尽くされていたよ。

 

自宅から実家までは、電車を3回乗り換えて、健康体でテンションも通常以上であれば特急や急行を使って1時間20分くらいの距離である。梅田を経由するのが最短ルートだが、弱っている時に梅田の人込みの中を歩くのはしんどいものがある。とはいえ、リハビリにも負荷をかけていきたいので梅田経由で帰省することにした。一瞬乗り物酔いっぽくなったが、それ以外は問題なかった。あらためてわかったことといえば、階段を下りるスピードがまだまだ遅いことと、右手で鞄を持ち続けるのはちょっと困難ということ。途中休憩でミルクティを2度飲んだが、胃の方も2杯分程度のミルクティは十分に受け入れが可能であること。ゆっくり歩く人の姿がしっかりと視界に入るようになっていたこと。いろいろ収穫が多かった。

 

祖母はどう考えても認知症の症状である。極度の状態ではないが、新しいことは理解が困難だし覚えることも難しいようだ。また耳がかなり遠くてコミュニケーションが成り立たない。僕の手術と入院のことは母から祖母に伝えたということは母から聞いていた。

そんな祖母だが、僕の顔を見るやいなや、「かわいそうに。腕は動くのか」と言ってきた。「かわいそうに」と何度も言ってきた。「長い間入院していたからしょんぼりしているかと思っていたけど、元気そうでよかった」とも言っていた。最新情報をきちんと理解して更新できていたことに僕は驚いた。

初孫が2歳の時に命にかかわるような怪我を負ったことは祖母にとっても強烈な記憶として残っていたのだろう。その時の怪我がきっかけで今回2度の手術と入院をしたということは、その強烈な記憶と相まって祖母には認知症を超えるような強烈な情報となったのだろう。隙あらば僕の体をさすろうとする祖母の存在がなんともありがたかった。

右大腿部 ~療養日記~

元気かな?まだ療養中。

右大腿部の皮膚を取ったのは、僕の中では今回の手術&入院の中で最も大したことがない。今も擦ったり掻いたりしないように&されないように気をつけているくらい。電車に乗ったりすると、突っつかれないかひやひやしている。

術後に初めてガーゼを剥がした時は焼く前の焼肉みたいな、ハラミみたいな色をしていたが、だんだんと色が薄くなって普通の皮膚色になるんだろうなと思っていた。1ヶ月で元通りなんて考えていた。でもまだまだハラミ色をしていて思ったほど色落ちしていない。

僕は足が短くて右膝上の結構な部分の皮膚を取ったので、かなり目立つ。目立つうえに、膝上に拡がる赤黒い痕を見るたびに自分の足がやたら短いことを自覚させられる。

これからだんだん薄くなって2ヶ月後には元通りになってるのかな。11月半ばくらいに突然元通りになるのかな。これからの変化を楽しみにしているよ。

リハビリ ~療養日記~

元気かな?できるだけ外の空気を吸おうとしているよ。

 

微熱が続いたり血圧が高かったりする原因がわからないまま退院した。座り続ける時間を増やそうと試みているけど、現時点では連続1時間くらいが限界。なかなか長くなっていかないね。

そもそも退院して間もなくの状況はこんなもんなのかもしれない。微熱のせいなのか、血圧のせいなのか、浅い睡眠のせいなのか、メンタルが原因なのか。よくわからないけど、予想してたよりもぜんぜん全身に力がみなぎらない。

今日はこんなところだろうね。明日は食欲がわくかな。焦らずにリハビリを重ねていこうと思う。

人の見え方 ~療養日記~

元気かな?せっかく退院したけど、起き続けるのが難しくて昨日はほとんどゴロゴロしてたよ。

 

傷自体は数ヶ月かけてこつこつ回復していくだろうから心配はしてないけど、体力面とメンタルが弱っているのを感じている。とはいえ、ゴロゴロし続けるわけにいかないから、強制リハビリのつもりで少し電車に乗ってカフェに行くことにした。

 

踏切や階段をゆっくり歩く。ふらふらしないか気にしながら歩いていることは、周りの人は知らないだろう。

電車で立っているのも、座る時と立つ時がつらいからだとは、周りの人は知らないだろう。

鞄を利き手ではない左手で持ち続けているのも、右腕と右肩を庇わなければいけないからだとは、周りの人は知らないだろう。

いまカフェで緩慢な様子でいることも、体全体にエネルギーが満ちていないからだとは、周りの人は知らないだろう。

 

その人が何を背負っていてどういう状況かなんて、そもそも周りの人にはわからない。たとえ弱っていたとしてもわからない。同じ電車に乗った人たち、いま同じカフェにいる人たちも、重いか軽いか、大きいか小さいかは別にして何かを抱えているんだよね。ひょっとしたら隣の人は実はとてもつらいものを背負っているかもしれない。

 

いま僕自身が弱っているからかもしれないけど、人の見え方がこれまでと違っているように思える。ほんの少し優しさが芽生えている気がしている。できればこのまま少し優しい人間になりたいな。

皆勤賞 ~入院日記~

元気かな?今後通院日記があるかもしれないけど、入院日記はこれが最終回。

 

病室にはお医者さんや看護師さんを含めて毎日いろんな人が来てくれた。そんな中で1日も欠かすことなく来てくれた人がただ1人いた。

病院と家が職場から逆方向であるのに平日は仕事帰りにやってきた。来なくていいと言ってもやってきた。体が丈夫ではないからすぐに家に向かってほしかったがやってきた。僕は1人でいることはそんなに苦にならないから、2日おきでも3日おきでも来てくれるだけで十分だった。ただ毎日顔を見たかったのは正直な気持ちだ。1秒でも顔を見るだけでほっとする。そんな僕の気持ちは伝えてはいなかったが、とにかく毎日やってきた。

 

どれだけ感謝の気持ちをもっていても、僕が家に戻ったら今までのようにすぐに喧嘩をするんだろうな。それでも僕は彼女が病院に毎日毎日毎日来てくれたことは忘れない。僕はもともと幸せ者だが、この40日は特に幸せ者だった。

 

いつもありがとう。どうもありがとう。

 

 

手術痕が消えてなくてよかった ~入院日記~

元気かな?病院にいたら雨や風のことがわからないね。被害が少しでも大きくならなければいいな。

 

もともと広い範囲の傷痕のうち、放っておくとよくないところを切り取ったり、機能を改善したりするための手術だったから、背中や腕が普通のお肌になるわけではないことはわかっていた。ただ背中の右部分は右大腿部の皮膚を張り付けたから、足のような皮膚になってるんだろうな、足みたいにここだけ毛が生えたら間抜けだな、脱毛しようかな、なんて考えていた。

 

鏡越しに背中を見たら想像とは違っていた。もちろん手術前とは違うし、手術後の恐ろしさやグロテスクさとも違う。落ち着いた手術痕の上から透明の膜が張り付いたようになっている。おっきな傷だねということがわかる。僕はほっとした。

 

お医者さんも看護師さんたちも、背中を見るたびに、すごくきれいになったと言ってくれる。僕は幸せな気持ちになる。これから皮膚をくっつけたところがもっと再生していくんだろうか。足みたいな皮膚になっていくんだろうか。でも僕にとっては見た目はもうどうでもいい。むしろこのままであってほしい。手術痕がなくならないでほしい。

 

この痕を見るたびにこの40日間で感じたこと、考えたことを思い出すことができる。この痕さえも僕には宝物になった。

ありがとう看護師さん③ ~入院日記~

元気かな?卒業に伴い、入院日記も終わりが近づいてきた。明日の夜は身支度をするよ。

 

「白衣の天使」なんていう表現があるね。実際、2回目の手術の前はすごく気弱になっていたので、手術室まで付き添ってくれた看護師さんは僕にとっては本当に天使だった。救われた。

 

でも、やっぱり看護師さんは天使じゃないし、天使を期待しちゃいけないよねって今なら思う。

 

看護師さんも人間だもんね。しんどい時もつらい時も腹が立つ時もむなしい時もあるだろう。いろいろな患者相手だからこそ思わぬストレスを受けることもあるだろう。

チームでお仕事をするし、組織に属しているので、納得いかないこともあるだろう。人間関係も常に良好とは限らない。潤沢に人員がいるわけではないと思うので、ゆったりとはお仕事するのが難しいだろう。

 

入院病棟では患者が主役かもしれない。患者も頑張っている。でも看護師さんもいっぱい頑張っている。そのことがわかった。僕は40日しかいなかったけど、看護師さんたちがこれまでもいっぱい頑張ってきただろうことは容易に想像できる。そしてこれからもいっぱい頑張っていくんだろう。

 

患者にとって看護師さんは結果的に天使かもしれない。けれども人間だから、決して無理せずに患者の支えになってあげてください。僕はこの40日の間、看護師さんからたくさんのことを教わったし、たくさんのパワーをもらった。僕にとってかけがえのない入院生活だった。本当にありがとう。

ありがとう看護師さん② ~入院日記~

元気かな?検温とか点滴とか病院主導のお仕事があるのは知っていたし、入院患者が多いほどそれらのお仕事が増えるだろうなってことはなんとなくわかっていた。症状が重い患者対応には気を抜くことはできないだろう。どんな仕事でも突発的なことはあるし、トラブルもあるだろう。

 

でもね、入院病棟に何日もいると、入院病棟の看護師さんってたいへんだな、すごいなと心から思うようになった。実際には具体的なお仕事内容はわからないけど、ただただすごいなと思うようになった。

 

まず定期的にある夜勤がすごい。夜中起きていられて、しかもお仕事をするのがすごい。僕は体内時計の調整が得意ではないし、夜中に何かをしようと思っても朦朧としてしまうので、大丈夫かな、無理してないかなと勝手に心配していた。おやつの差し入れをしたい気持ちだった。ナースコールはしょっちゅう鳴る。検温というたかだか1分ほどの間にも高確率でコールされている。背中のガーゼを確認するわずかの間にもコールがある。夜中にトイレに行くと、病室前のナースコールのランプが光っていたりする。食事の片付けやトイレの付き添いもある。患者さんによっては、入れ歯やオムツのお世話もある。弱音を吐きたい患者さんに付き合ってあげているシーンも何度も目にした。乳幼児の患者ちゃんが泣き叫んだりしている。混合病棟だからよりたいへんなのかな。

 

きっとたいへん。でも、1つ1つのことに誠実に向き合っている印象がすごく強い。僕は大部屋だったし、ベッドは廊下付近だったし、何よりも1ヶ月じっくり以上滞在したので、お仕事の詳細までわからなくても看護師さんたちの責任感やら誠実さは伝わってくる。

 

入院患者にとって看護師さんの存在はとてつもなく心強い。すごく支えになっている。ありがとうしか言えないけど、ありがとう。